2012年06月13日

第175回 鴨川をどり



平成24年5月1日(火)〜24日(木)、京・三条大橋畔の先斗町歌舞練場において、第175回鴨川をどりが開催され、弊社は美術を担当させていただきました。

道具帳(下絵)と公演写真の一部を掲載いたします。




演目
道具帳
公演
第一部 源平雪月花
二場 壇ノ浦
第一部 二 壇ノ浦-2.jpg
 IMG_3758-1.jpg
第二部 京都春宵
一 桜屏風
第二部 一 桜屏風-2.jpg
 IMG_3775-1.jpg
第二部 京都春宵
フィナーレ 藤の園
 第二部 四 フィナーレ 藤の園-2.jpg IMG_3790-1.jpg



先斗町歌舞会様をはじめ、関係者の皆様に御礼申し上げます。

公演に関する詳細は、下記ホームページを御覧ください。
   先斗町歌舞練場公式ウェブサイト   http://www1.odn.ne.jp/~adw58490/








posted by 川面美術研究所 at 09:00| 舞台美術

2012年05月25日

第140回 都をどり


平成24年4月1日(日)〜30日(月)、京都・祇園甲部歌舞練場において、第140回都をどり「平清盛由縁名所(たいらのきよもりゆかりのなどころ)」全八景が開催され、弊社は美術を担当させていただきました。

道具帳(下絵)と公演写真の一部を掲載いたします。



演目 道具帳 公演
第三景
清盛公嚴島参詣
 P1060694-1.jpg _MG_3973-1.jpg
第六景
晩秋大原里
 P1060697-1.jpg _MG_4012-1.jpg
第八景
花ごろも
 P1060699-1.jpg _MG_4034-1.jpg



祇園甲部歌舞会様をはじめ、関係者の皆様に御礼申し上げます。

公演に関する詳細は、下記ホームページを御覧ください。
 都をどり公式ウェブサイト   http://www.miyako-odori.jp/top.html








posted by 川面美術研究所 at 21:45| 舞台美術

2012年05月18日

白色LED斜光ライトの御案内




高槻電器工業株式会社より、文化財の調査・研究・修復に最適な白色LEDライト(TKW064-KAWAMO)が発売されました。

開発にあたり弊社が協力をしましたので、ここに御案内いたします。


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 白色LED斜光ライト TKW064-KAWAMO(高槻電器工業株式会社)




川面美術研究所は法隆寺金堂壁画模写以来、文化財保存事業に80年近く関わってまいりました。

近年では、保存及び復元修理には科学的知見が必要とされ、色々な分析機器を駆使しながら事業を行っております。

斜光照射による文様痕跡の解読は、当社の得意分野ですが従来の斜光照射機器は高価で、重量もありました。


今回、高槻電器工業鰍ニの共同開発した白色LED斜光ライトは軽量ポケットにも入るサイズで、LEDにより熱が発生しないことも大きなメリットです。


手軽に痕跡の調査、顔料塗膜の損傷状況の確認、撮影時に役立ちます。

修理技術者の必携となって文化財保存事業の一助になれば幸いです。


川面美術研究所 代表取締役 所長 荒木かおり





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光源は高輝度白色LED。
付属のレンズケースと組み合わせることで、表面観察に適した光線が得られます。
レンズケースの寸法は、約70×50×13o。
光源本体の寸法は、約60×40×9o。
小型なので、狭い空間に差し込んで斜光照射することもできます。
光源本体と
レンズケースは、容易に着脱可能。
レンズケースはゴムでコーティングされ、持ちやすさと対象物接触面の保護を兼ねています。

 IMG_4676-1.jpg電池ボックスには単3電池が4本入ります。
電源on/offスイッチと光量ボリュームスイッチで、微妙な光量の調節ができます。
両スイッチの間には、二重丸環金具が付いており、携帯性を高めています。
電池ボックス寸法は、約82×100×24o。
電池ボックスと光源本体(LED)を繋ぐコード長は、約900o(収縮時)。
ポケットに電池ボックスを入れ、光源本体を片手に持った時に、長過ぎず短過ぎない絶妙な長さ。
スパイラルコードなので、さらに伸ばせます。
写真撮影時の支障とならないよう、光源本体から電池ボックスまで、黒色に統一しました。



 
建造物彩色での使用例
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       順光撮影      白色LEDライトによる斜光撮影
順光撮影では判別できなかった彩色表面の凹凸や損傷が、白色LEDライトによる斜光撮影で、はっきりと記録できます。
ポータブルなので、文化財の調査・研究・修復に限らず、手軽な目視観察や写真撮影を必要とする多分野での活用も期待できます。




商品に関する詳細は、下記までお問い合わせください。
 

 高槻電器工業株式会社      http://www.takatsuki-denki.co.jp/products/light.html
   
   〒613−0034
   京都府久世郡久御山町佐山中道41−1
   TEL   0774−43−2111
   FAX   0774−45−1331






posted by 川面美術研究所 at 19:08| お知らせ

読売新聞 京を紡ぐ㉒模写画 荒木かおり“400年前の絵師と対話”



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2012年4月17日読売新聞連載 京を紡ぐ㉒ において模写画が取り上げられ、弊社代表取締役荒木かおりが取材を受けました。

川面美術研究所が1972年から継続して取り組んでいる二条城二之丸御殿障壁画の模写事業を中心に、二条城唐門修復など弊社近年の仕事やこれまでの歩みについて紹介されています。




posted by 川面美術研究所 at 15:15| 出版・放送・行事

2012年04月23日

第63回 京おどり


平成24年4月7日(土)〜22日(日)、京都・宮川町歌舞練場において、第63回京おどり「花都四季栄耀(はなみやこしきのえよう)」全七景が開催され、弊社は美術を担当させていただきました。

道具帳(下絵)と公演写真の一部を掲載いたします。

 演目道具帳
公演
第二景 艶競百花蓮華
洛西・法金剛院の庭
 DSC03138-2.jpg _MG_4190-2.jpg
第四景 岩長姫物語
鳴滝川
 DSC03146-2.jpg _MG_4281-2.jpg
 第七景 宮川音頭
宮川町歌舞練場前
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宮川町お茶屋組合様をはじめ、関係者の皆様に御礼申し上げます。

公演に関する詳細は、下記ホームページを御覧ください。
 宮川町お茶屋組合公式サイト   http://www.eonet.ne.jp/~miyagawacho/





posted by 川面美術研究所 at 17:00| 舞台美術

2012年04月03日

【重要文化財】片埜神社本殿竣工のお知らせ



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 修理前 概観

修理後 向拝蟇股

 IMG_6808 東妻-3.jpg 東妻-3.jpg
 修理前 身舎東妻修理後 身舎東妻


大阪府枚方市の片埜神社本殿保存修理工事が完了いたしました。

    名称
重要文化財 片埜神社 本殿
    員数1棟
    建築年代慶長7年(1602)
    所在地大阪府枚方市牧野阪2
    構造形式三間社流造。檜皮葺、南面
    指定年月日大正6年4月5日
    附指定棟札1枚

片埜神社本殿は、豊臣秀頼が片桐且元を総奉行として再建したもので、珍しい平面構成や慶長期の力強い造形に大きな特徴があります。

平成21年から3年にわたり、屋根工事、塗装工事、その他修理を内容とする保存修理が実施され、弊社は塗装工事(彩色塗装の調査および施工)を担当いたしました。

片埜神社本殿は、慶長期の再建以降、寛政8年(1796)、昭和10年、昭和49年に修理を経ています。

現状の調査および過去の修理記録や古写真の比較検証から、彩色塗装や蟇股彫刻の変遷を明らかにすることができました。

監督者の指導により、今回の塗装工事は昭和10年の状態に復旧整備し、平成23年9月竣工を迎えました。

宗教法人片埜神社様、文化庁様、大阪府教育委員会様、枚方市教育委員会様、公益財団法人文化財建造物保存技術協会様、株式会社村上社寺工芸社様をはじめ、お世話になりました関係者の皆様に御礼申し上げます。






posted by 川面美術研究所 at 17:04| 建造物装飾

2012年03月01日

成就院 本堂後壁画「二十五菩薩来迎図」完成のお知らせ


このたび栃木県鹿沼市の成就院本堂新築に際しまして、後壁画「二十五菩薩来迎図」を制作させていただきました。
平成23年11月6日には落慶法要が行われました。
完成した本堂、壁画の写真を掲載します。


成就院本堂正面1a-001.jpg  成就院本堂内部13a-001.jpg
成就院本堂 栃木県鹿沼市楡木町
成就院仏後壁画全体1s-001.jpg 成就院本堂壁画1a-001.jpg 成就院本堂壁画4a-001.jpg

 


【制作者言葉】

成就院本堂仏後壁画 二十五菩薩来迎図制作について

 荒木かおり

この度ご縁有って成就院様の本堂新築に際しての後壁画制作という御下命を賜りました。
御住職、副住職様と、本堂建築設計者の御意向を承り、高野山金剛寺本二十五菩薩来迎図を規範といたしました。
壁画が必要とされるお寺の御意向を尋ねましたところ、
『檀家様及びこの壁画を見た方が、死後の世界への怖れから解き放たれ、来迎を受け、安心して浄土へ向かえる事を感じられる絵にして欲しい。』ということでした。
この御意向を踏まえ、鹿沼市の成就院本堂に今まさに阿弥陀様と菩薩が舞い降りてくる情景を描くことに腐心いたしました。
成就院のシンボルツリーである紅葉のシダレアカシデや黒川、男体山を風景として盛り込み、現実世界と極楽世界をつなぐ空間表現になる事を目指しました。
菩薩の表情はとても難しく、何度も修正を加えながら色々な表情を楽しげにと自分で呟きながら描きました。衣装の文様や装身具等は助手を務めてくれた若手が精魂こめて描きました。描き終え、改めて高野山本の二十五菩薩来迎図の偉大さを痛感いたしました。

この制作にあたりましては、成就院様はもとより建築史のお立場から滋賀県立大学教授 冨島義幸先生、設計者として松本正己先生、施工管理 伸和建設小西隆夫様には甚大なる御助言をいただきました事に深く感謝いたしております。


制作担当者
 荒木かおり 

  大道優子
  河本万里子
  伴鈴子

       

posted by 川面美術研究所 at 00:00| 建造物装飾

2011年12月01日

第54回 祇園をどり

 

 第54回 祇園をどり「玩草品様々(もてあそびぐさしなのさまざま)」全七景の舞台美術を本年も担当させていただき、去る11月10日に無事千秋楽を迎えました。

制作にあたり作成した下絵(道具帳)と公演写真の一部を掲載致します。



演 目道具帳  公 演
景 
 置屋の二階
 
一場ー2変更後.jpg
 
一景A.jpg
五景 
 庭
 
五場.jpg
 
五景1.jpg
七景
 祇園をどり
 フィナーレ
 
フィナーレ.jpg
 
七景 フィナーレ.jpg


公演に関する詳細は下記HPを御覧ください。

祇園東歌舞会公式サイト
http://www.gionhigashi.com/index.html









posted by 川面美術研究所 at 14:00| 舞台美術

2011年11月24日

西本願寺鹿児島別院 第16期『ハートフル大学』第5回講演 「西本願寺の至宝とその保存について」


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平成23910日、弊社代表取締役の荒木かおりが、西本願寺鹿児島別院第16期『ハートフル大学』にて、「西本願寺の至宝とその保存について」と題して講演いたしました。


『ハートフル大学』は、「仏教と文化を通して、私の人生と、私の住む鹿児島を考える」とテーマに、西本願寺鹿児島別院本堂で、4月から12月(8月を除く)まで月1回講演形式で開催される心の大学です(お問い合わせは、鹿児島別院教化部、電話0992220051までお願いいたします)。


当日は275名もの参加をいただき、まことにありがとうございました。


『ハートフル大学』コミュニケーション誌「ハートフル」編集部様の御厚意により、「ハートフル」No.169201110月号)掲載の講演録を以下に転載させていただきます(一部加筆修正)。




西本願寺の至宝とその保存について

川面美術研究所 代表取締役   荒木 かおり


 文化財修復という仕事を通じ、九州とは以前から深い関わりがありました。

 ここから近くで言いますと、熊本城の本丸御殿大広間の若松の間と昭君の間にきらびやかな障壁画がありますが、その制作をさせていただきました。

 他にも大分県にある、平安時代の建築で国宝の富貴寺大堂の壁画の現状模写を父が行い、その後を継いで私が復原をしました。

 現在は大分県立歴史博物館に復元した大堂が展示されており、皆さんにも見ていただけます。


 文化財の修理は、京都におりますと「ただ今文化財の修理中」といった看板もときどき見受けられますが、他の地域ではなかなかなじみがなく、いったいどんなことをしているのかわかりにくいと思います。

 本日は京都・西本願寺を中心として、文化財をどのように修理・保存してきたかをお話ししたいと思います。


 文化財の修理は、修理に携わる者にしか撮れない写真があったり、皆さんの目には絶対届かないような、天井の隅の方にあるものを見つけたり、古い人の墨書を見つけたりなど、そういう小さな発見が私たちの大きな喜びになっています。


 また、文化財の修理にも種類がありまして、私は特に建造物の中の装飾の部分を担当しています。

 装飾といいますと、神社の場合なら朱色に塗られた柱やその上にある彫刻に施された美しい彩色を建造物彩色といって、ご本山にもそういう装飾がたくさんあります。

 その建物の中でも特に、絵の具を使って行う仕事を私の専門としております。

 仏像の修理なども行いますが、主には建物に付随する装飾の修理をしております。


 文化財の修復の仕事は祖父の代から数えて3代目になります。

 祖父は法隆寺の金堂壁画の模写に携わり、父が富貴寺大堂壁画の模写や京都の平等院の壁画の模写を行ってきました。

 祖父の代から、私にも古いものが好きな血が脈々と流れているようで、現在は京都・二条城二の丸御殿に多くのふすま絵がありますが、その復原模写の事業を昭和47年から始め、今もまだ終わっていません。

 私のライフワークになりそうです。


 さて、本願寺については、昭和55年に唐門の修復を行いました。

 唐門は本願寺の南側にあり、美しい彩色彫刻が施されています。

 一日中見ていても飽きないことから、「日暮門」とも呼ばれ、国宝に指定されています。


 また、飛雲閣の三十六歌仙図の修復も手がけました。

 飛雲閣は「金閣・銀閣・飛雲閣」といって、“京の三名閣”といわれます。

 その飛雲閣二階の歌仙の間に美しい障壁画があり、これが三十六歌仙図です。柿本人麻呂や小野小町といった歌人が杉戸に生き生きと描かれています。

 また、飛雲閣の隣には黄鶴台という浴室がありまして、こちらの絵画の復原もいたしました。


 そして本願寺で一番大きな建物である御影堂にある装飾の修復を平成13年から17年にかけて行いました。


 北能舞台に描かれている板松のCG復原や、経蔵の中に収められている仏像の彩色の修復、大谷本廟にある二天像の修復もさせていただきました。


 最近では、平成20年から23年までは白書院・虎の間の修復を、4月から始まる大遠忌法要に間に合わせるよう、みんなで力を合わせ、なんとかことしの3月に終えたばかりです。


このように、私は傷んだ文化財を修復していますが、そもそもなぜ彩色に傷みが発生するのでしょうか。


 こういった杉戸絵は木地といって、木の上にまず墨で下書きをします。

 それから胡粉という白い顔料を乗せ、その上から岩絵の具という鮮やかな絵の具を塗ってできています。

 しかしそこに雨や風、紫外線が当たると、顔料の弱い所、特に白は日光に弱いのでとれていきます。

 上から順に傷んでいき、木地もだんだんと痩せていきます。

 非常に強い墨であっても、最後は木地だけになってしまうんです。

 すると絵の具の塗られた所とそうでない所に凸凹ができるんですね。

 その痕跡を拾っていくことで、ここに絵があったということがわかってくるんです。

 凹凸を確認するためには特殊な光を当てます。

 通常の光を当てて見ると、ぼんやり何かあるかな、という程度なんですが、斜光ライトという特殊なライトを当てることで木の凸凹がはっきりと浮き上がり、何が描かれていたのかが見えてくるのです。

 我々はそれを手がかりに修復作業を進めていきます。

 この方法で、三十六歌仙杉戸絵も修復を進めていきました。


 文化財の修復は多くの人から注目されていますし、監督する人もたくさんいます。

 また、何かを修理するときには必ず国の文化庁に許可をもらわなければなりません。

 例えば国宝は柱一本動かすにも許可がいります。

 そういうこともあり、絵画を修復するときも、なんらかの根拠、誰が見ても納得できる復原根拠を持たないと許可が下りません。

 許可を取るため、私どもは文様の解析と分析に非常に情熱をかけて仕事をしています。


 御影堂についてですが、まず正面に、通称『水噴きのイチョウ』という天然記念物があります。

 本願寺が火事になったとき、このイチョウが水を噴き、火を消して御影堂と阿弥陀堂を守ったと言われています。

 しかしこの木の存在が、御影堂修復をさらに困難なものにしました。

 修復の際、御影堂や隣接する阿弥陀堂などを守るため、御影堂全体をすっぽり覆う「素屋根」をかけるんですが、イチョウの木が傷つかないように、また国宝の黒書院が傷つかないように、素屋根の設計をずいぶん苦労して設計されたそうです。

 御影堂内部の修復は、50年前の大遠忌法要の際に修理された部分を生かしながら、要所をクリーニングする方法をとりました。

 ご本山としては金箔を全て張り替えるので、彩色もきれいで鮮やかなものにしてほしいとのご要望でした。

 しかしこれに対して文化庁はなるべく保存をしなさいという指導でした。

 本願寺と文化庁の考えが正反対なんですね。

 ですので、先ほど述べたような、両者の意見の間を取るという苦肉の策をとりました。


 そうやって準備段階だけでも多くの苦労があり、この大事業が進められていきました。


私が本山で一番好きな彫刻に、内外陣境の十組の牡丹の木鼻彫刻があります。

これは僧侶がおつとめをする内陣と、一般の方がお参りする外陣のちょうど境の上の方にあります。

照明があまり当たらないので見えにくいかと思いますが、この牡丹がそれぞれに違うんです。


どう違うのかといいますと、北から正面へ向かうにつれて、牡丹の花が咲いていくんです。

そして正面から南に向かうにつれてしぼんでいく。

こういうなんとも心憎い演出がされていました。

こういった遊び心のある彫刻は本願寺では珍しく、これを見たときは「この仕事をしていてよかったなあ」と幸福を感じた瞬間でした。


では、今の御影堂ができたその時代、本願寺はどのように発展していったのでしょうか。


戦国時代、石山本願寺が現在の大阪城付近にあるころ、織田信長との争いで本願寺のほとんどが焼失してしまいます。

それ以降、本願寺は現在の和歌山、大阪の貝塚、天満と移転していきます。

その翌年には現在の地である京都・七条堀川の地を豊臣秀吉が与え、本願寺は京都へ移ります。

阿弥陀堂は新築され、御影堂は天満から移築されるのですが、慶長元(1596)年に、大地震によってそのほとんどが倒壊します。


しかしすぐに再興し、2年後には御影堂が上棟します。

それからも対面所を作るなどして境内の整備が進んでいきますが、元和31617)年、今度は火災によって唐門と鐘楼を除いたほとんどの建物を焼失してしまいます。

すぐに仮堂を再建しますが、このときに徳力善宗という人がふすま絵を描いています。


そして寛永元(1624)年に顕如上人33回忌に合わせて対面所を再建します。

上段の間に、金を使った障壁を描いたとの内容が古文書に残っています。

これは狩野派の絵師、渡辺了慶が描いたのではないかと言われています。


本願寺が京都に移ってきたころは、南蛮寺というキリスト教の教会が各地にでき、京都にも勢力を伸ばしていました。

全国にキリスト教徒が60万人いたとも言われています。

そしてこの時代の文様を見ていきますと、南蛮ものが非常に多いんですね。


これは私見ですが、キリスト教勢力の拡大を恐れた秀吉は、1589年に京都の南蛮寺の焼き討ちをし、その2年後、本願寺に七条堀川の地を与えています。

もしかしたら秀吉は、拡大し続けるキリスト教勢力に対抗できるのは、戦国大名と肩を並べるほどの勢力を誇った本願寺しかないと思ったのかもしれませんね。


いずれにしても、さまざまな苦難を乗り越えて、本願寺は京都の地へと帰る願いを果たしたということです。


…以下省略

 

 

 

 


posted by 川面美術研究所 at 17:41| 出版・放送・行事

2011年11月01日

【奈良県指定文化財】 御霊神社本殿(黒駒) 竣工のお知らせ




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 修理前 正面


 修理後 正面


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 修理後 南東より概観 修理後 南西より


五條市阪合部地区黒駒の御霊神社本殿保存修理工事が完了いたしました。


 名  称
 奈良県指定有形文化財 御霊神社 本殿
 所在地 五條市黒駒町376番地
 構造形式 一間社流造、銅板葺、南面
 指定年月日 平成6325
 附指定 棟札5枚(延宝8年、享保18年、明和8年、天保6年、安政2年)

平成21年から2年にわたり、塗装替えおよび部分修理を内容とする保存修理が実施され、弊社は彩色調査・復元施工を担当いたしました。

五條市内には20社以上の御霊神社がありますが、黒駒の御霊神社本殿は極彩色による彫刻を多用した豊かな装飾性が特徴で、この地域の建築の特質を知る上でも貴重な遺構です。

調査の結果、本殿の彩色塗装は @建立当初(延宝期) A明和期 B安政期 の三期にわたって変遷していることが分かりました。

奈良県教育委員会事務局文化財保存事務所の指導監督により、今回の修理では外部彩色塗装を明和期の状態に復旧整備し、内部彩色を現状のまま保存しました。

宗教法人御霊神社様、内原工務店様、株式会社片山様をはじめ、関係者の皆様に御礼申し上げます。







 
posted by 川面美術研究所 at 15:24| 建造物装飾
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