2019年01月08日

【重要文化財】仁和寺観音堂ほか2棟保存修理工事(観音堂塗装工事)

平成29年度 重要文化財仁和寺観音堂ほか2棟保存修理工事(観音堂塗装工事)が実施され、

弊社は観音堂内陣の養生紙剥離と補彩、須弥壇彫刻の彩色を担当しました。

過日、無事に竣工を迎えましたのでお知らせいたします。

 竣工 DSC00562c.jpg


                       仁和寺観音堂の概要


名称

仁和寺 観音堂


員数

1


年代(西暦)

寛永二十一年(1644)


構造及び形式等

桁行五間、梁間五間、一重、入母屋造、向拝一間、本瓦葺、閼伽棚を含む


文化財の区分

重要文化財


指定年月日

昭和48年(197362


所在地

京都府京都市右京区御室大内


所有者

仁和寺



仁和寺観音堂は、平成24年度から半解体修理が始まりました。

弊社は平成25年度に内陣の彩色画を剥落止めし、修理の際の汚れや傷から彩色画を保護するために

紙養生を実施しました。


本工事ではその紙養生を除去し、再度剥落止めを施し、塗膜が剥落していた箇所に補彩をしました。

また、須弥壇彫刻の彩色を調査し、木部修理と復原彩色を実施しました。



紙養生 DSC00007c.jpg施工後 来迎壁 DSC00551c.jpg
 来迎壁背面 紙養生 来迎壁正面 施工後

 側通り壁画 施工前 DSC00407c.jpg
 側通り壁画 施工前

 側通り壁画 施工後 DSC00373c.jpg
側通り壁画 施工後 

 施工前 南面3c.jpg
須弥壇彫刻 施工前 

 施工後 DSC00572c.jpg
 須弥壇彫刻 施工後


仁和寺様、京都府教育庁指導部文化財保護課様、株式会社片山様、株式会社さわの道玄様、

日本電機商会株式会社様、能美防災株式会社様、株式会社上宗建設様をはじめ、

お世話になりました関係者の皆様に厚く御礼申し上げます。


ありがとうございました。



posted by 川面美術研究所 at 16:30| 建造物装飾

2017年07月07日

薬師寺食堂復興事業


この度、法相宗大本山 薬師寺食堂は、養老2年(718)以降に創建され
幾度の火災により消失していた堂宇の復興事業が完成いたしました。

P1160557_2.jpg

全体監修/鈴木嘉吉先生

復元設計/株式会社 文化財保存計画協会

内部設計/株式会社 伊東豊雄建築設計事務所

施工/株式会社 竹中工務店

壁画/田渕俊夫先生 で施工されました。


天井板.jpg

当社は田渕先生の阿弥陀三尊浄土図の天蓋に当たる部分の幕板と天井板のデザイン・施工を
担当させていただきました。

幕板と天井は伊東先生の斬新な天井荘厳と田渕先生の柔らかな阿弥陀三尊浄土図をつなぐ位置にあり、
白鳳時代にも意を馳せながら、お二方の個性を結ぶ難題に挑戦いたしました。

法隆寺伝法堂.jpg法隆寺伝法堂 天井.jpg

私の想いは白鳳時代のデザイン性のすばらしさを再現することができたらと思い、
法隆寺伝法堂の天蓋を参考にし、鈴木先生のご配慮で現地の調査をさせてたいただくという
素晴らしい経験もさせていただきました。

山田法胤長老の薬師寺らしい文様も取り入れて欲しいとのご要望から、
形状は法隆寺、文様は薬師寺という折衷文様を作り上げました。

P1160556_2.jpg

外観は白鳳時代の復元、内部は平成の食堂荘厳として、
後世にまで伝えられていくことを願っております。

ご指導を賜りました鈴木嘉吉先生、薬師寺様、株式会社 竹中工務店様、
株式会社 伊東豊雄建築設計事務所様をはじめ、本事業でお世話になりました
関係各位に御礼申し上げます。(荒木記)

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(2018年12月27日 追記)
薬師寺食堂が第28回AACA賞 特別賞を受賞しました。
素晴らしいチームに参加させていただいたことを誠に有難く存じます。
あらためまして、本事業でお世話になりました関係各位に御礼申し上げます。



posted by 川面美術研究所 at 17:00| 建造物装飾

2017年01月17日

【重要文化財】清水寺三重塔外部彩色工事




 平成26年度、弊社は重要文化財清水寺三重塔保存修理工事(外部塗装工事)の内、
彩色工事を担当させていただきましたので、ご報告いたします。



清水寺外観.jpg
    清水寺三重塔 修理後



昭和59〜61年(1986年)に外部彩色が復元され、今回は約30年ぶりの塗り直し(一部剥落止め・補彩)となりました。

 清水寺三重塔は、各層ごとに長押と台輪の文様が異なっています。

また、模様の中に描かれた龍や摩竭魚などの表情も、少しずつ違います。

 普段はなかなか間近に見ることのできないこれらの文様を、ご紹介いたします。



一重
長押 初重長押.jpg入八双若芽唐草.jpg
四弁花羯磨繋 入八双若芽唐草
台輪初重台輪.jpg出八双卍くずし円竜  南(.jpg
 向い蝶出八双卍字くずし円竜
   
二重
長押二重長押.jpg二重 入り八双若芽唐草.jpg
 二重花菱七宝繋
入八双若芽唐草 
台輪二重 台輪.jpg出八双瑞雲丁子車.jpg
 菱繋壱重襷出八双瑞雲丁子車
   
三重
長押三重 長押.jpg三重 入八双若芽唐草.jpg
 若芽花菱入八双若芽唐草 
台輪三重 台輪.jpg出八双鉄線唐草.jpg
 七宝連続出八双鉄線唐草
   
各層
丸桁丸桁 金剛盤に宝珠.jpg摩竭魚.jpg
 金剛盤に宝珠摩竭魚







































   






この彩色工事には、下記のような工夫も施されています。

  

截金
截金作業2.jpg 二重 台輪.jpg
截金は、箔を線状や小片に裁断して貼り付ける装飾技法です。
三重塔では、二重目の台輪でこの工法が採用されました。


  
下端
下端作業.jpg下端2.jpg
長押や台輪の下端と呼ばれる部分にも、潜り込んで彩色をしました。



清水寺へ参拝された際は、三重塔を見上げて、装飾性に富んだ文様もお楽しみください。

 清水寺様、京都府教育庁指導部文化財保護課様、株式会社片山様をはじめ、
本事業でお世話になった皆さまに御礼申し上げます。






posted by 川面美術研究所 at 10:00| 建造物装飾

2016年12月26日

【重要文化財】住吉神社本殿保存修理工事    





本殿.jpg



平成28年2月から12月まで、重要文化財住吉神社本殿保存修理工事が実施され、弊社は塗装工事を担当致しました。


過日無事に竣工を迎えましたので、お知らせ致します。




住吉神社の概要


名称

住吉神社本殿(すみよしじんじゃほんでん)

員数

1

年代(西暦)

明応二年(1493) (棟木・天井梁・内陣扉小脇板墨書銘)

構造及び形式等

三間社流造、檜皮葺、正面西向き

文化財の区分

重要文化財

指定年月日

昭和三十五年(1960)六月九日

所在地

兵庫県加東市上鴨川

所有者

宗教法人 住吉神社

その他

附 棟札 一枚(建立貞享三年丙寅三月十五日の記)

修理履歴

貞享三年(1688)


享保六年(1721)

文久二年(1860)
明治二十六年(1893)
大正七年(1918)
昭和二十五年(1950)
昭和四十五年(1970)
平成二十八年(2016)

屋根葺替、軒廻り(丸桁含む)新調、

向拝頭貫・蟇股・木鼻等修理

屋根・小屋組・野棰修理

屋根葺替
向拝浜床修理
箱棟・鬼板・千木・勝男木等新調
屋根葺替
解体修理
屋根工事、塗装工事



この地方は、和泉の住吉神社の荘園であったことから、数多くの住吉神社があります。


当住吉神社は上鴨川の鎮守で、創建は正和五年(1316)頃と推定されています。


毎年十月の二日間に亘り、宮座が奉納する神事舞(重要無形民俗文化財)でも知られています。


この神事に関連する舞殿、長床等の建物も、古い配置形式を留めています。




今回の保存修理工事における塗装工事では、外部塗装を全面的に塗り替えました。


彩色塗装の剥落・汚損だけでなく、高欄擬宝珠や向拝蟇股・木鼻、手挟の木部欠損・欠失も進んでいたので、現状を十分精査の上、再現しました。




向拝 手挟 左(北側) 南面.jpg
手挟南側南面 修理前

向拝手挟南側南面P1150015.jpg
手挟南側南面 修理後

向拝中央 蟇股表.jpg
向拝中央蟇股正面 修理前

向拝蟇股中央見付P1150020.jpg
向拝中央蟇股正面 修理後

向拝南側 蟇股表.jpg
向拝南側蟇股正面 修理前

向拝蟇股南側見付P1150022.jpg
向拝南側蟇股正面 修理後

向拝北側 蟇股表.jpg
向拝北側蟇股正面 修理前

向拝蟇股北側見付P1150017.jpg
向拝北側蟇股正面 修理後



南側 修理前.jpg
南側 修理後.jpg
 擬宝珠 修理前擬宝珠 復原後


宗教法人住吉神社様、公益財団法人文化財建造物保存技術協会様、株式会社村上社寺工芸社様、関係各位のご尽力に敬意を表し、改めてお礼申し上げます。






posted by 川面美術研究所 at 09:00| 建造物装飾

2016年03月25日

【兵庫県指定文化財】 高座神社本殿




hp1030687.jpg

平成28324日に兵庫県指定重要有形文化財高座神社本殿の
保存修理事業竣工奉告祭に出席致しました。

hp1030689.jpg

本事業は平成24年に始まり境内整備を含め4年の歳月を経て竣工されました。

弊社は塗装・彩色工事を担当させて頂きました。


hp1030692.jpg


丹波地方特有の彩色を学ぶことができました。

所有者様、関係者各位の皆様のご尽力に敬意を表しつつ、改めてお礼申し上げます。



posted by 川面美術研究所 at 11:30| 建造物装飾

2014年11月10日

【京都市指定文化財】平岡八幡宮本殿彩色保存修理

 
 
 
平成26年度、有現会社 川面美術研究所(代表取締役 荒木かおり)は、京都市指定文化財平岡八幡宮本殿彩色の保存修理を担当いたしました。
 
本修理に伴う調査によって、多くの発見がありましたのでその一部をご紹介いたします。
 
 
 
本殿外観.jpg
平岡八幡宮本殿外観(修理前)
京都市内では希少な切妻造りの大規模社殿です。
 
 
 
 
平岡八幡宮本殿の概要
 文化財の名称 平岡八幡宮
 建築年代 文政9年(1826)
 構造形式 桁行三間、梁間二間、向拝一間、切妻造、銅板葺、正面南向き
 文化財の種別 京都市指定有形文化財(建造物)
 所在地 京都市右京区梅ヶ畑宮の口町23
 
 
 
 
本殿内部.jpg
平岡八幡宮本殿内部(修理前)
外陣の「花の天井」はよく知られています。
 
 
 
   
平岡八幡宮本殿は内外の広範囲に彩色が施されていますが、今回の保存修理では、向拝蟇股を彩色復元(塗り替え)、内外陣境のマグサ・内法長押を現状維持(剥落止め・補筆)とする部分的な施工となりました。
 
 
   
内法長押 修理前.jpg
本殿内外陣境内法長押(東脇間) 修理前
伝説の「白玉椿」が描かれていますが、大部分の塗膜が剥落していました。
 
 
  
内法長押 修理後.jpg
本殿内外陣境内法長押(東脇間) 修理後
現状彩色を剥落止めした後、古写真や顔料分析等に基づき、塗膜剥落部に補筆しました。
 また、部材の周辺と熨斗目文様の一部に金紙を貼り付ける特殊な技法も判明したので、再現しました。
 金具も本修理の後、取り付けられました。
  
 
 
本殿蟇股彫刻 修理前.jpg
本殿向拝蟇股及び彫刻 修理前
蟇股中央の彫刻は弁才天坐像と伝えられていますが、琴を弾くという大変珍しい姿で表されています。
調査の結果、当初は別の場所に安置されていた彫刻を、後世になって転置したものと推定されました。
 
  
本殿蟇股彫刻 修理後.jpg
本殿向拝蟇股及び彫刻 修理後
顔料分析に基づき、当初の彩色に復元いたしました。
 
 
 
今回の保存修理における最大の発見は、平岡八幡宮本殿彩色を手掛けた絵師の名が確認されたことです。
 
 
 
山本探淵.jpg
 本殿水引虹梁天端の墨書「彩色/山本/探淵」
本殿内外の建築部材に、「彩色 山本探淵」という墨書が残されていました。
山本探淵は、平岡八幡宮本殿の建築年代と同時期に、京都で活躍した絵師です。
鶴沢探泉(江戸狩野派系の鶴沢派4代目)の門人であり、
当時の『平安人物志』 (近世京都の文化人名録)にその名を見つけることができます。
  
 
 
 
神社・寺院等の建築に関わった大工、あるいは絵画を制作する絵師・画工に関しては、歴史的な研究が進んでいます。
 
しかしながら、神社・寺院等建造物の柱や壁等に描かれた「建造物彩色」の制作者に関しては、未だによくわかっていません。
 
そのようななかで平岡八幡宮本殿は、建造物彩色の制作者の素性が文献によって裏付けられる貴重な事例と言えます。
 
日本美術史の面からも、鶴沢派町絵師の活動領域が、絵画のみならず建造物彩色にも広がることを示す史料として、注目に値するのではないでしょうか。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
posted by 川面美術研究所 at 14:00| 建造物装飾

2014年01月15日

【重要文化財】 二条城二の丸御殿唐門 彫刻修理




 唐門修理後全体.jpg
 平成23年度 竣工


京都市では世界遺産・二条城を保存・継承していくために、平成23年度から工期20年の予定で本格修理事業が進められています。

その端緒として、平成23年度京都市元離宮二条城ニ之丸御殿唐門及び築地保存修理工事が実施され、弊社は彫刻修理の保存修理を担当しました。

過日無事竣工を迎えましたので、修理の概要をお知らせします。



二条城二の丸御殿唐門について

二条城は、慶長8年(1603年)徳川初代将軍家康公により京都御所の守護と将軍上洛の際の宿泊所として造営されました。

そのあと後水尾天皇の行幸を迎えるにあたり、三代将軍家光公により城の拡張と整備工事が行われました。

唐門はこの行幸に合わせて寛永2年(1625年)二の丸御殿築地塀に建てられたと考えられています。


 名称二条城 
 棟名二の丸御殿唐門 
 員数一棟 
 建築年代寛永2年(1625年)
 構造形式四脚門、切妻造、前後軒唐破風付、檜皮葺 
 文化財の種別重要文化財 
 指定年月日昭和14年(1939年)10月28日 
 所在地京都市中京区二条通堀川西入二条城町 



彫刻彩色について

 

東側 妻.jpg
東側妻飾修理後
 
 北側背面.jpg
北側修理後
二の丸御殿唐門 各彫刻の主題

位置部材 主題 
南側蟇股 霊亀
 欄間松梅鶴 
 欄間牡丹・蝶
中央欄間梅竹波龍虎 
北側蟇股亀に乗った人物(廬敖か?) 
 欄間 松薔薇瑞鳥 
 欄間 牡丹・蝶 
東妻 欄間 牡丹・唐草 
 欄間 牡丹・唐獅子 
西妻 欄間 牡丹・唐草 
 欄間 牡丹・唐獅子 
四方 木鼻 牡丹・唐草 

 

龍虎.jpg
中央冠木上欄間修理後

 

 

 

四方に見られる彫刻は、木地に直接金箔を押して彩色された豪華なものです。


様々な生き物が活写され、中でも唐獅子は合計10体に及ぶほど多用されています。


故 川面稜一が担当した昭和49年(1974年)の前回修理から39年が経過し、彫刻木部の欠損・欠失と彩色塗膜の汚損・剥落が進んでいました。


今回の修理では現状を調査した上で、昭和49年修理時の見取図、施工日誌、古写真等と照合しながら検討を重ね、往時の姿に蘇らせました。

 

 

松鶴修理前1.jpg 
南側欄間修理前
 
 松鶴修理後.jpg
南側欄間彫刻彩色修理後

 

 

本工事にあたり、京都市文化市民局元離宮二条城事務所様、社寺建築株式会社木澤工務店様をはじめ、お世話になりました関係者の皆様に厚く御礼申し上げます。


ありがとうございました。




元離宮二条城HP

http://www.city.kyoto.jp/bunshi/nijojo/index.html

 

 


 

 

 

 



posted by 川面美術研究所 at 00:00| 建造物装飾

2013年11月11日

【重要文化財】 清水寺子安塔 彩色修理




国宝清水寺本堂ほか8棟保存修理工事(子安塔内部塗装工事)および子安塔扁額彩色修理が過日無事に完了しましたので、お知らせいたします。



清水寺子安塔初層内部-.jpg
 清水寺子安塔扁額-.jpg
 子安塔初重内部 完成 子安塔扁額 完成




【建物の概要】
子安塔竣工-.jpg 名称  清水寺子安塔
 員数 一基
 建築年代 明応9年(1500)
 構造形式 三間三重塔婆、檜皮葺
 所在地 京都府京都市東山区清水1丁目
 文化財の指定   昭和41年(1966) 6月 11日
 文化財の種別  重要文化財(建造物)




【子安塔の主な修理履歴】
 元禄9年(1696)頃 屋根葺替
 宝暦3年(1753)頃 各重軒廻り、心柱形式、初重縁廻り、初重内部須弥壇廻り・厨子・柱間装置改変
 文政12年(1829) 屋根葺替
 文久2年(1862) 屋根葺替
 明治44年(1911) 移築、初重天井改変、二重三重小屋組改変、壇上積基壇設置、外部彩色を単色塗へ改変、錺金具新調
 昭和26年(1951)  屋根葺替、斗栱等部材取替え、小屋組補強、心柱盤取替え、初重天井改変
 昭和53年(1978) 屋根葺替




子安塔は元・泰産寺(清水寺成就院の子院)の塔で、明治44年に境内南側の現在地に移築される以前は、清水寺参道を登り詰めた境内入口付近(仁王門下)にありました。
子安塔は安産祈願所として信仰を集め、旧参道途中の産寧坂(三年坂)の名の由来は、これにちなんだものと言われています。

今回の保存修理工事までは、建築年代が江戸時代初期の寛永年間(1624〜1644)頃と考えられてきましたが、解体工事中に初重方斗から発見された墨書によって、室町時代の明応9年(1500)にさかのぼることが明らかになりました。

子安塔外部には度重なる彩色・塗装の形跡があり、建築当初の姿を確定することはできませんでした。
内部に関しても塗り替えられていましたが、塗装の下に残っていた墨線や顔料、文様の痕跡を基に、彩色の推定復元を行いました。

子安塔内部塗装工事とは別に、子安塔扁額も調査によって明らかとなった当初の姿に復元しました。

なお、子安塔内部塗装工事は、単色塗を(株)片山様、漆塗を(株)はせがわ美術工芸様に協力いただきました。
また子安塔扁額彩色修理は、漆塗を(株)はせがわ美術工芸様に協力いただきました。

清水寺様、京都府教育庁指導部文化財保護課様をはじめ、本事業でお世話になった皆様に御礼申し上げます。








posted by 川面美術研究所 at 13:30| 建造物装飾

2013年10月15日

【重要文化財】 京都府庁旧本館正庁 壁装材の修理




京都府庁旧本館は、現在の京都府庁舎と同じ京都市上京区下立売通新町西入薮ノ内町にあります。

明治37年(1904)に完成したルネサンス様式の建物で、日本人建築家による西洋建築様式習得の到達点を示す作品として、高く評価されています。

明治期の姿を損なうことなく、今も行政庁舎として使われている点で、貴重な存在と言えます。

建物内外の優れた意匠とその歴史的価値から、平成16年(2004)12月10日重要文化財に指定されました。



正庁は京都府庁旧本館の2階にあり、公式行事や公賓の接遇のための最も格式の高い広間です。

正庁の壁はエンボス加工の凹凸で文様がかたどられていますが、これは19世紀に英国で発明されたリンクルスタという壁装材によるものと言われています。

平成24年度重要文化財京都府庁旧本館正庁改修工事において、弊社はこの壁装材の修理を担当しました。



リンクルスタ修理前-1.jpg
リンクルスタ修理後-1.jpg
 修理前
 修理後
 改修工事において洗浄されたので、壁全体が白くなりました。
修理後の写真では、都合により一時的にモールの一部を取り外しています。



この壁装材は耐久性がありますが、長い年月を経て亀裂や欠失が見られました。

今回の修理では、壁装材の剥離した箇所には接着剤を挿入し小型アイロンで伸ばしながら圧着しました。

欠失した箇所には、同じ文様の
壁装材で補いたいところですが、現在同じものを入手することはできません。

そこで厚い和紙に絵具でエンボス状の凹凸を再現して
壁装材を模造し、これを貼り付けてさらに色調を整えて仕上げました。



リンクルスタ模造工程-1.jpg
壁装材の模造工程


リンクルスタ模造品-1.jpg
壁装材模造物



近世の社寺等建造物彩色では、絵具を盛り上げて半立体的な文様を描く「置き上げ(起き上げ)」と呼ばれる技法があります。

使用する材料は異なりますが、日本古来の彩色技法が、西洋様式による近代建築の修理に生かされました。







posted by 川面美術研究所 at 11:50| 建造物装飾

2013年10月10日

【名古屋市指定文化財】 揚輝荘聴松閣壁画の補彩




揚輝荘は、株式会社松坂屋の初代社長であった伊藤次郎左衛門祐民氏が、大正から昭和初期にかけて名古屋市千種区法王町、覚王山の丘陵地に建設した別荘です。

揚輝荘南園の中央にある聴松閣は、ハーフチンバーの外壁など山荘風の外観をした迎賓館で、昭和12年(1937)に建設されました。

地上3階、地下1階の各部屋は、世界の様々な様式で装飾されています。

平成20年5月26日、聴松閣を含む揚輝荘5棟は、名古屋市指定有形文化財(建造物)に指定されました。



東面北側壁修理前.jpg
 聴松閣地階ホール東面北側壁 修理前
文様部分は絵画部分の四周に配されています。
絵画部分の下方に、ハリハラン氏の署名が見て取れます。




平成23年度から始まった揚輝荘聴松閣修復整備工事において、弊社は地階ホール壁画(文様部分)の補彩を担当致しました。

地階ホール壁画は、松坂屋に嘱託員として勤務していたインド人ハリハラン氏が、昭和13年に描いたものです。

70余年を経て、壁画は剥落・汚染・カビが発生するなど、損傷が進んでいました。

今回の事業では、絵画部分には手を加えず、文様欠損部分に範囲を限定して補彩をしました。



1揚輝荘聴松閣修理前部分-1.jpg
2揚輝荘聴松閣修理後部分-1.jpg
西面北側壁 補彩前
 

西面北側壁 補彩後

 
 3揚輝荘聴松閣修理前部分-1.jpg 4揚輝荘聴松閣修理後部分-1.jpg
 東面北側壁 補彩前


東面北側壁 補彩後
 

 5揚輝荘聴松閣修理前部分-1.jpg 6揚輝荘聴松閣修理後部分-1.jpg
 東面中央扉上壁 補彩前 東面中央扉上壁 補彩後



聴松閣は過日無事に竣工を迎え、平成25年8月から一般公開が始まっています。

本事業でお世話になりました関係各位に感謝申し上げます。






posted by 川面美術研究所 at 16:50| 建造物装飾

2013年05月23日

【重要文化財】 大福光寺本堂保存修理工事(剥落止工事)





「方丈記」最古の写本を所蔵していることでも知られる京丹波の古刹、真言宗御室派 大福光寺。

本堂と多宝塔は重要文化財に指定されており、往時の大伽藍を偲ぶことができます。

平成24年度に、大福光寺本堂は屋根葺替・部分修理を主な内容とする保存修理工事が実施されました。

本工事において弊社は内部彩色を対象とした剥落止工事を担当し、過日無事に竣工を迎えましたので、お知らせいたします。




【建物の概要】
 大福光寺本堂竣工.jpg
 名称大福光寺 本堂(毘沙門堂)
 員数1棟
 建築年代
嘉暦2年(1327) 棟木銘
同年、足利尊氏が現在地に移築したと伝わる。
 構造形式桁行五間、梁間五間、一重、入母屋造、 檜皮葺、南面
 文化財の種別重要文化財
 文化財の指定年月日明治37年(1904) 2月 18日
 所在地京都府船井郡京丹波町下山岩ノ上
 主な修理履歴
昭和6年(1931) 解体修理(現状変更)
昭和41年(1966) 屋根葺替工事



大福光寺本堂内部は、内陣四天柱廻りの柱・横臥材・組物等に彩色があります。

いずれも黒塗装の上に白色下地を引き、赤色や黄赤色で素朴な文様を描いたもので

修理前には彩色塗膜は層状に剥離しており、また雨漏りが原因と思われる暗褐色汚染で当初の鮮やかさが失われていました。

京都府教育庁指導部文化財保護課様の指導監督の下、膠水や布海苔抽出液で彩色塗膜の剥落を止め、また湿式洗浄(クリーニング)によって暗褐色汚染を除去しました。



大福光寺本堂剥落止前.jpg
大福光寺本堂剥落止後.jpg
 修理前 (斜光撮影)
彩色塗膜が層状に剥離している。

 修理後 (斜光撮影)
剥落止めにより、彩色塗膜が原状に回復した。


 大福光寺本堂洗浄前.jpg 大福光寺本堂洗浄後.jpg
 修理前 (順光撮影)
彩色塗膜が暗褐色に汚染されている
修理後 (順光撮影)
湿式洗浄により、暗褐色汚染が除去された。




本工事でお世話になりました関係者の皆様に御礼申し上げます。










posted by 川面美術研究所 at 14:00| 建造物装飾

2012年08月29日

稱名寺本堂保存修理工事




稱名寺本堂タイトル.jpg



はじめに

大阪府松原市にある、 報恩山 稱名寺 。
近鉄南大阪線布忍駅から西除川を渡った
住宅地の中にある、浄土真宗本願寺派の寺院です。
参道と下高野街道の辻には、「蓮如上人御舊蹟」の石碑が建っています。

このたび親鸞聖人七百五十回大遠忌を機縁として、平成22年から約2年にわたり、称名寺本堂保存修理工事が行われ、川面美術研究所は内部彩色保存修理を担当しました。
過日無事竣工を迎えましたので、
稱名寺本堂彩色保存修理の概要をお知らせするとともに、稱名寺本堂内部の華やかな世界を御紹介します。




建物の概要

 稱名寺本堂外観.jpg
名   称

員   数

  

建築年代

構造形式
 稱名寺 本堂

 1棟

 
大阪府松原市南新町2丁目9-8

 江戸時代後期  (ただし安政二年(1855)に西向きから東向きに立て直す)
 
 桁行五間(実長六間) 梁行六間半(実長七間半) 一重 入母屋造 本瓦葺




修理方針と仕様

本堂内部の内陣・両余間・内外陣境の構造材(柱・梁・貫など)は、漆金箔と極彩色で装飾されています。
また内陣・両余間は格天井で、格縁は黒色漆と漆金箔で仕上げ、格間も
漆金箔と極彩色の板が嵌められています。
置上彩色を用いた濃密な彩色技法、二十四孝や極楽浄土などの蟇股(かえるまた)彫刻の主題をはじめ、西本願寺御影堂内部装飾との類似点を多く見つけることができます。

極彩色の来歴について詳しくは分かっていませんが、現在の極彩色は後世に改変されたもののようです(下層に文様や配色の異なる別の彩色塗膜が残っています)。
しかしながら、塵埃や煤煙により極彩色および漆金箔の鮮やかさは失われ、また塗膜がめくれ上がるように剥離・剥落が進んでおり、今後維持することが困難な状態であることが明らかとなりました。
そのため関係者と協議の上、現状の極彩色をクリーニングと剥落止めによって保存し、さらに塗膜が剥落した箇所を対象に日本画絵具で補彩をすることで、宗教空間としての威厳を回復することにいたしました。




修理事例

稱名寺本堂内陣天井板修理前.jpg
稱名寺本堂内陣天井板修理後.jpg
修理前修理後

内陣天井画は、菊文の上に紙本著色の桔梗文を貼り付けるという特殊な形態になっています。
漆金箔はクリーニング(湿式洗浄)により、あたかも金箔を押し直したかのように輝きを取り戻しました。
菊文の輪郭は大半が剥落していたので、金泥で補彩しました。



稱名寺本堂共命鳥修理前.jpg
稱名寺本堂共命鳥修理後.jpg
修理前修理後

共命鳥(ぐみょうちょう。仏説阿弥陀経に説かれている双頭の鳥)の彫刻が付いた内外陣境の蟇股周辺。
イレーザーによる乾式洗浄と湿式洗浄を組み合わせたクリーニングにより汚れを取ったので、全体的に明るくなりました。




竣工写真
稱名寺本堂内外陣境完成.jpg
修理後の内外陣境

内外陣境各間の蟇股には、極楽浄土にいるという六鳥(南から、共命鳥・迦陵頻伽・舎利鸚鵡・孔雀・白鵠をかたどった彫刻が取り付けられています。
過剰な補彩を避けることで、華やかでありながらも上品で落ち着きのある空間となりました。




稱名寺本堂内陣完成.jpg
修理後の内陣

内陣の蟇股には、飛天の彫刻が付いてます。
来迎柱廻りの極彩色は、本堂内部でもとりわけ密度の高いものです。




稱名寺本堂南余間完成.jpg
稱名寺本堂北余間完成.jpg
修理後の南余間修理後の北余間

両余間は、構造材の極彩色もさることながら、天井の草花図が見どころです。
天井格縁もクリーニングにより光沢が増したので、天井画に遜色ありません。




稱名寺本堂南余間天井完成.jpg
稱名寺本堂北余間天井完成.jpg
修理後の南余間天井修理後の北余間天井

両余間合わせて72面、すべて異なった構図で描かれています。
漆金箔は鏡のように光を反射して、堂内を照らします。




おわりに

稱名寺は、本堂のほか山門・庫裏・鐘楼・土蔵・井戸屋形などで伽藍を構成しています。
これらの建物には、随所に
龍や十二支などさまざまな動物を主題とする力強い木彫が配置されています。
造形の特徴や墨書から、堺のだんじり彫刻との関連が指摘されているようです。
御参拝の折には、本堂極彩色と併せ是非御注目ください。

本工事にあたりお世話になりました、稱名寺様、一般財団法人建築研究協会様、株式会社金剛組様、八田彩華堂様、京都社寺錺漆株式会社様をはじめ、関係者の皆様に御礼申し上げます。
ありがとうございました。





posted by 川面美術研究所 at 16:00| 建造物装飾

2012年04月03日

【重要文化財】片埜神社本殿竣工のお知らせ



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 修理前 概観

修理後 向拝蟇股

 IMG_6808 東妻-3.jpg 東妻-3.jpg
 修理前 身舎東妻修理後 身舎東妻


大阪府枚方市の片埜神社本殿保存修理工事が完了いたしました。

    名称
重要文化財 片埜神社 本殿
    員数1棟
    建築年代慶長7年(1602)
    所在地大阪府枚方市牧野阪2
    構造形式三間社流造。檜皮葺、南面
    指定年月日大正6年4月5日
    附指定棟札1枚

片埜神社本殿は、豊臣秀頼が片桐且元を総奉行として再建したもので、珍しい平面構成や慶長期の力強い造形に大きな特徴があります。

平成21年から3年にわたり、屋根工事、塗装工事、その他修理を内容とする保存修理が実施され、弊社は塗装工事(彩色塗装の調査および施工)を担当いたしました。

片埜神社本殿は、慶長期の再建以降、寛政8年(1796)、昭和10年、昭和49年に修理を経ています。

現状の調査および過去の修理記録や古写真の比較検証から、彩色塗装や蟇股彫刻の変遷を明らかにすることができました。

監督者の指導により、今回の塗装工事は昭和10年の状態に復旧整備し、平成23年9月竣工を迎えました。

宗教法人片埜神社様、文化庁様、大阪府教育委員会様、枚方市教育委員会様、公益財団法人文化財建造物保存技術協会様、株式会社村上社寺工芸社様をはじめ、お世話になりました関係者の皆様に御礼申し上げます。






posted by 川面美術研究所 at 17:04| 建造物装飾

2012年03月01日

成就院 本堂後壁画「二十五菩薩来迎図」完成のお知らせ


このたび栃木県鹿沼市の成就院本堂新築に際しまして、後壁画「二十五菩薩来迎図」を制作させていただきました。
平成23年11月6日には落慶法要が行われました。
完成した本堂、壁画の写真を掲載します。


成就院本堂正面1a-001.jpg  成就院本堂内部13a-001.jpg
成就院本堂 栃木県鹿沼市楡木町
成就院仏後壁画全体1s-001.jpg 成就院本堂壁画1a-001.jpg 成就院本堂壁画4a-001.jpg

 


【制作者言葉】

成就院本堂仏後壁画 二十五菩薩来迎図制作について

 荒木かおり

この度ご縁有って成就院様の本堂新築に際しての後壁画制作という御下命を賜りました。
御住職、副住職様と、本堂建築設計者の御意向を承り、高野山金剛寺本二十五菩薩来迎図を規範といたしました。
壁画が必要とされるお寺の御意向を尋ねましたところ、
『檀家様及びこの壁画を見た方が、死後の世界への怖れから解き放たれ、来迎を受け、安心して浄土へ向かえる事を感じられる絵にして欲しい。』ということでした。
この御意向を踏まえ、鹿沼市の成就院本堂に今まさに阿弥陀様と菩薩が舞い降りてくる情景を描くことに腐心いたしました。
成就院のシンボルツリーである紅葉のシダレアカシデや黒川、男体山を風景として盛り込み、現実世界と極楽世界をつなぐ空間表現になる事を目指しました。
菩薩の表情はとても難しく、何度も修正を加えながら色々な表情を楽しげにと自分で呟きながら描きました。衣装の文様や装身具等は助手を務めてくれた若手が精魂こめて描きました。描き終え、改めて高野山本の二十五菩薩来迎図の偉大さを痛感いたしました。

この制作にあたりましては、成就院様はもとより建築史のお立場から滋賀県立大学教授 冨島義幸先生、設計者として松本正己先生、施工管理 伸和建設小西隆夫様には甚大なる御助言をいただきました事に深く感謝いたしております。


制作担当者
 荒木かおり 

  大道優子
  河本万里子
  伴鈴子

       

posted by 川面美術研究所 at 00:00| 建造物装飾

2011年11月01日

【奈良県指定文化財】 御霊神社本殿(黒駒) 竣工のお知らせ




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 修理前 正面


 修理後 正面


 IMG_1442-3.jpg IMG_1454-3.jpg
 修理後 南東より概観 修理後 南西より


五條市阪合部地区黒駒の御霊神社本殿保存修理工事が完了いたしました。


 名  称
 奈良県指定有形文化財 御霊神社 本殿
 所在地 五條市黒駒町376番地
 構造形式 一間社流造、銅板葺、南面
 指定年月日 平成6325
 附指定 棟札5枚(延宝8年、享保18年、明和8年、天保6年、安政2年)

平成21年から2年にわたり、塗装替えおよび部分修理を内容とする保存修理が実施され、弊社は彩色調査・復元施工を担当いたしました。

五條市内には20社以上の御霊神社がありますが、黒駒の御霊神社本殿は極彩色による彫刻を多用した豊かな装飾性が特徴で、この地域の建築の特質を知る上でも貴重な遺構です。

調査の結果、本殿の彩色塗装は @建立当初(延宝期) A明和期 B安政期 の三期にわたって変遷していることが分かりました。

奈良県教育委員会事務局文化財保存事務所の指導監督により、今回の修理では外部彩色塗装を明和期の状態に復旧整備し、内部彩色を現状のまま保存しました。

宗教法人御霊神社様、内原工務店様、株式会社片山様をはじめ、関係者の皆様に御礼申し上げます。







 
posted by 川面美術研究所 at 15:24| 建造物装飾

2010年11月13日

【京都府指定文化財】 禅林寺(永観堂)阿弥陀堂 竣工のお知らせ



禅林寺外観正面.jpg

禅林寺(永観堂)阿弥陀堂の彩色・塗装工事が完了いたしました。
禅林寺 阿弥陀堂 : 桁行七間、梁行六間、一重、入母屋造、向拝三間、本瓦葺

京都府京都市左京区永観堂町
大阪四天王寺から移築された、慶長12年(1607)当時の姿に復原すべく、弊社が調査と施工に約5年間をかけた大事業でした。
昨年までに内部修理を終え、本年度は外部彩色・塗装が仕上りました。
禅林寺様、ご参拝の皆様には長い間ご迷惑をおかけしました。

***

11月からの寺宝展に合わせ、色鮮やかに蘇りました阿弥陀堂の姿をご覧いただけます。
今年の永観堂は、有名な紅葉と、この阿弥陀堂がもう一つの見どころですので、みなさまぜひ、お参りくださいませ。






posted by 川面美術研究所 at 12:00| 建造物装飾

2009年12月30日

【枚方市指定文化財】 津田春日神社 保存修理工事完了のお知らせ

 

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大阪府枚方市の春日神社(津田)の彩色・塗装保存修理工事が完了いたしました。


   本殿 : 正面梁間一間、桁行一間、春日造、檜皮葺、南面。


   末社若宮八幡宮本殿 : 正面桁行三間、梁間一間、流造、檜皮葺、南面。


境内の拝殿奥に並ぶ本殿(向かって右)と末社若宮八幡宮本殿(向かって左)の2社はそれぞれ、奈良の春日大社の本社(第二殿)と摂社三十八所社を天明6年(1786)に移築した、「春日移し」の由緒を有する社殿として知られていました。

 

* * *


修理の監修は(社)全国国宝重要文化財所有者連盟事務局長(元京都府文化財保護課参事)の後藤佐雅夫先生が担当されました。

今回の修理工事では、木部修理・漆喰壁塗り替え・金具の漆金箔押し(奥谷組担当)、階雁字板の剣先巴彩色・塗装塗り替え(川面美術研究所担当)を行いました。

修理中には壁板より墨書が現れました。

本殿の内法長押上小壁に「二之御殿」という文字と方位を記した墨書、背面切目長押下の壁板には、全面に「判じ絵」と呼ばれる江戸時代の謎解き絵が描かれており、その中に「天明六牛年」という紀年銘も確認されました。

同様に若宮社の内法長押上の小壁(琵琶板)には、「三十八社」と書かれた文字と方位が記されていました。

奈良春日大社の本社・三十八所社の建つ方位はそれぞれ、南面・西面であり、墨書にある方位と一致するため、今回の発見は社伝や史料の記述を裏付けるものとなりました。


 * * *


修理中の発見物によって、津田春日神社は奈良春日大社の社殿を移したことがわかったため、彩色・塗装の仕様は奈良春日大社に倣い、本殿の塗装は本朱塗り、若宮社の塗装は丹朱塗りとしました。

また、若宮社の雁字板に描いた連珠・剣先巴文は三十八所社の配置を参考にして復原しました。

ただし巴文については、本殿のものを基本として奈良三十八所社よりも古様に調整しました。

 

* * *


現在の奈良春日大社はいずれも江戸末期の造替によるものであり、津田春日神社はその前身を現在に伝える遺構として重要です。

この2社の文化財的価値を損なわないよう、由緒に倣い奈良春日大社と同等の仕様で修理することで、移築当時の姿に蘇りました。

 

posted by 川面美術研究所 at 22:24| 建造物装飾

2009年06月25日

【重要文化財】 久世神社本殿 彩色・塗装修復完成


   DSC_6316.JPG

平成21年6月、久世神社の彩色・塗装修理が完成しました。
久世神社本殿 : 一間社流造、檜皮葺
京都府城陽市久世芝ヶ原
重要文化財久世神社本殿は、室町時代の身舎を今に伝え、以降幾度かの修理を経て現在に至ります(向拝は後補の可能性があります)。
昭和47年に前会長川面稜一が彩色修理を担当し、30年余りの年月を経て、幸運にも再び川面美術研究所が修復させて頂きました。

この度の修理は主に屋根替えと彩色・塗装の塗り直しです。

平成20年3月より彩色調査を開始。
彩色調査では、古写真(明治〜昭和初期)に写された旧彩色の状態を分析しつつ、風食などによる本体に残された彩色痕を記録しました。
今回では、明確な痕跡を確認出来ず、復原(現状変更)には至りませんでした。
また、傷んだ彩色・塗装面の掻き落としも行いました。

平成20年7月より本殿の彩色・塗装の施工を開始。
彩色・塗装調査で作成した原図をもとに施工しました。

平成21年3月より中門・透塀の彩色・塗装開始。
中門・透塀は未指定ですが、明治期の古写真にも写されていることから、江戸末〜明治初期頃に建てられたと考えられます。
今回は透塀も新調され、大変鮮やかに蘇りました。

計画から約1年半が経ちました。
久世神社様には大変お世話になりました。
ありがとうございました。





posted by 川面美術研究所 at 21:33| 建造物装飾

2009年03月15日

【重要文化財】石清水八幡宮本殿外殿ほか4棟保存修理工事 完了

平成18年度より3年間にわたる重要文化財石清水八幡宮の修理工事が終わり、極彩色がよみがえりました。弊社は彫刻欄間などの約100点の彩色を担当しました。回廊内は3月14日より4月12日まで一般公開されます。iwasimizu.jpg
posted by 川面美術研究所 at 09:05| 建造物装飾

2006年01月06日

【重要文化財】 清水寺田村堂(開山堂) 彩色調査復原

20.jpg 川面美術研究所が彩色調査・復原を担当いたしました重要文化財] 清水寺田村堂(開山堂)の修理が、過日無事竣工を迎えましたことをお知らせいたします。
 
建物の概要 
  名称…………[重要文化財] 清水寺田村堂(開山堂)
  所在地………京都府京都市東山区清水一
  形式…………三間四方 入母屋造 桧皮葺
  建築年代……江戸時代初期(寛永年間)

 当研究所は、田村堂内部および外部の斗栱の現状彩色とそれ以前の彩色の痕跡を調査いたしました。
 その結果、内部全てに建築当初(寛永期)と思われる連珠文付き条帯文の彩色が残っていました。
 内部の寛永期の彩色は、南北面と東西面とで配色を変えていましたが、その後東西面は文様を変えて寛永期の彩色の上から塗り替えられていることが分かりました。
 一方、外部は現状彩色の残存状態が悪かったものの、顔料分析から内部東西面の後補彩色と外部現状彩色とが同一の材料であることが判明しました。
 現状彩色の下からは、かつての彩色の痕跡が見つかり、寛永期の内部彩色と同様に連珠文付き条帯文が確認できました。
 また現状彩色は東西南北全面が同じ配色でしたが、それ以前は寛永期の内部彩色と同じく南北面と東西面とで配色を変えていました。
 この調査をもとにして、外部斗栱を寛永期の彩色に復原しました。
 繧繝は淡色二段を含む五段階で、これは田村堂と同時期に建てられた [重要文化財] 清水寺西門 および [重要文化財]清水寺阿弥陀堂 と同じです。
 ただ繧繝の幅は、阿弥陀堂などのものよりもやや狭い印象がしました。
  
写真 : 復原後の清水寺田村堂



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2005年07月08日

寂光院本堂 彩色復原

15.jpg 当研究所が彩色を担当しました寂光院本堂復原について御報告いたします。

 建物の概要

  所在地 ……… 京都府京都市左京区大原草生町676

  名称 ………… 寂光院本堂

  形式 ………… 正面三間 側面三間 一重 入母屋造 葺

    建築年代 …… 慶長年間

 『平家物語』大原御幸で知られる寂光院本堂は、平成十二年五月九日放火によって失われましたが、三年半に亘る復原工事を経て、平成十七年三月無事竣工を迎えました。

 内陣柱の彩色復原は、焼失以前に撮影された数枚の写真を手がかりに行いました。写真に見られる痕跡から、柱の巻下げ部分には荘厳な金襴巻きが施されており、唐草や菊の紋などの文様も確認できました。

 しかし褪色が甚だしく、建築当初(桃山〜江戸初期)の色を写真から読み解くことは困難であったので、同時代の類例資料などから推測し、様々な復原案を作成しました。

 これらの復原案をもとに関係者で協議し、寂光院本堂の内陣を彩るに相応しい復原案を採択しました。

 復原彩色は、画材から技法に至るまでできる限り過去の建造物彩色に忠実であるように努め、にかわを溶剤とし、水干絵具・岩絵具を用いました。

 また写真から金箔の部分は胡粉を高く盛り上げていることが推定できたので、胡粉による置上技法を採用しました。

 平成十六年八月から彩色作業を開始し、同年九月末には尼寺らしい繊細な雰囲気の彩色が甦りました。

 寂光院へは、市バス・京都バスの大原行きで終点「大原」停留所下車、徒歩約20分です。是非足をお運び下さい。

 写真 : 内陣柱彩色作業の様子

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2004年08月18日

【京都府登録文化財】 市辺天満神社本殿 彩色調査復原

7.jpg当研究所が彩色調査及び復原を担当致しました [京都府登録文化財] 天満神社(市辺) 本殿修復事業が、過日無事竣工を迎えましたことをお知らせいたします。

     名称 ………… 天満神社(市辺)本殿 (京都府登録文化財)
     所在地 ……… 京都府城陽市市辺城下88
     形式 ………… 一間社流造
     建築年代 …… 慶長十一年(1606)


彩色文様に関しては、唐草文様が多用されているのが特色で、内陣扉額にまで美しい流れを持つ唐草文様の痕跡が認められました。
繋虹梁の七宝内花菱文様等は、同じく慶長期創建の[国宝] 都久夫須麻神社(滋賀県)にも用いられており、この時代の建造物に散見される特徴です。

天満神社(市辺)は、ほとんどの構造材に彩色が施されている点において、稀有な存在であると言えます。
この度の修復事業によって甦りました桃山〜江戸時代初期特有の力強い美を、多くの方々に御覧いただきたく存じます。

天満神社(市辺)は、JR奈良線山城青谷駅より東へ徒歩約10分、青谷小学校のそばに位置しております。
お近くにお越しの際は是非お立ち寄り下さい。

 


 写真上 : 本殿南西からの概観
 写真中 : 本殿北東からの概観
 写真下 : 本殿正面(南面)

 
posted by 川面美術研究所 at 00:00| 建造物装飾
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