
清水寺・子安の塔(泰産寺・三重塔)は、寛永期(十七世紀前半)の再建で、元来仁王門前にありましたが、明治末年に本堂と谷を隔てた南側の現在の位置に移築されました。
私達が目にしているのは、その移築の際に総丹塗りに改変された姿です(写真下)。
近年当研究所は機会を得て、移築・塗り替え前の子安の塔の彩色調査に取り組んできました。
実地での調査も随時実施して資料を蓄積しております。
しかし、移築・塗り替えの時期が明治であることを慮り、当HPを御覧の皆様に、当時の子安の塔の様子を窺える絵図や写真等の情報提供をお願いし、復原の参考資料にしたいと考えております。
絵図に関しては、「洛中洛外図屏風」各本(十六世紀)や京都府指定文化財「清水寺参詣曼荼羅」(十六世紀、清水寺蔵)等を確認しておりますが、これらはいずれも再建前の姿を伝えるものでした。
写真に関しては、白幡洋三郎著・京都新聞出版センター編「幕末・維新 彩色の京都」(京都新聞出版センター、2004)pp.70-71掲載の彩色写真や、清水寺蔵の古写真(写真上)を確認しております。
上記以外の資料を所有されている方、あるいは関連する情報をお持ちの方がいらっしゃいましたら、下記川面美術研究所まで御連絡下さいますよう宜しくお願い申し上げます。
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写真上 : 明治の子安の塔 (清水寺蔵)
柱上部や長押等に彩色と思しき形跡が看取される。
写真下 : 現在の子安の塔